1903年にギリシャのクレタ島南部のファイストス宮殿で見つかった円盤は、歴史家たちを大いに悩ませた。
45種類の記号が描かれているが、各文字は正確に同じ、つまり可動活字による『世界最古の印刷技術』の可能性があった。おそらく印章のようなものにて押し当てた後、焼いて固めたのだろう。
しかし、この円盤、まったく解読できないのだ。この記号が用いられている発掘物は他に見つかっていない。さらにギリシャ語でもなさそうである。この円盤を誰が作ったのか、どこで作られたのか、そして何が書かれているのか、未だに判明していない。
ではこの発見は何も意味は無かったのか?そんなことはない。内容は分からなくたって、ミノア文明の人々が、芸術性に富み、独創的な人々であったことは分かるのだ。
タイムマシンは無いのだから、過去を知るための唯一の手がかり、それがこれらの古代遺物。推論だって良いし、想像だって良い。絶対の真実でなくても、夢想だけなら自由だろう。『テーベ』を彩るこれら「過去からメッセージ」について少しばかり言及してみよう。『テーベ』で遊ぶ際のトリビアにどうぞ。
【ツタンカーメン王のマスク】
おそらく最も有名なファラオ、ツタンカーメンの頭部に被せられていた黄金のマスク。エジプトから門外不出となっているので、見たいならエジプトに行くしかない。
1914年にハワード・カーターは、既に掘りつくされたと考えられていた『王家の墓』の発掘許可をとった。もう何も出ない、と言われ奇人扱いであったという。しかし彼はそれまでの発掘品から、この谷のどこかにまだツタンカーメンというファラオの墓が眠っていると確信していたのである。
期待に反して、1922年まで殆ど収穫はなかった。そのため発掘計画は終了になる寸前であったが、彼は言った。「一か所掘っていない所があります、最後にその場所だけ試させてください」
その場所は、ラムセス6世の墓を作るための古代の工事夫の小屋の礎石であった。ちょうどラムセス6世の墓に行くための見学通路になっていたため許可が下りなかったのだ。最後なので、と発掘許可を得たカーターは11月3日までに礎石を片付けた。果たして工事夫の小屋の下なんかに王家の墓があるのだろうか。
1922年11月4日、地中より「石段」が見つかった。掘り進めて14段目に、一匹の山犬と九人の捕虜が描かれていた。
それは王墓の印章。
間違いなく未発見の王家の墓であった。中には幾らか盗人によって荒らされた後があったものの、肝心の玄室は封印されていた。そして、その中で石の棺が見つかる。それは紆余曲折の結果、1925年11月11日に開かれることになったのだが、中からは立ち会った誰もが予想もしなかったものが現れた。
それは黄金のマスクを被った若き王のミイラであった。
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【ロゼッタストーン】
エジプトの象形文字を解読するきっかけとなった、あまりにも有名な石。管理人も大英博物館で目にしたことがある。
1799年にエジプトのロゼッタでナポレオン軍によって発見。これを用いて、1822年に「ジャン・フランソワ・シャンポリオン」が古代文字の解読に成功するのである。なぜこれによって解読できたか?それは同じ文章が3種類の文字、神聖文字(ヒエログリフ)、民衆文字(デモティック)、ギリシャ文字、で書かれていると分かったからだ。字幕付き多言語対応の映画と同じ理屈だ。
【ウシェブティ像】
地位の高い人の墓に納められていた人形。鍬や鋤を携えていたものもある。なぜか?
当時の神官が唱えたとされる呪文、
「ウシェブティよ、故人があの世で畑仕事などの労働を強いられたらお前は言うのです、ここにいる私にお任せください、と」
死後も付いてく召使いなのだ。
【スカラベの護符】
スカラベとはタマオシコガネのこと。当時は太陽神の化身とされていたそう。
そんな大層な昆虫を日本では「フンコロガシ」と呼ぶ。
【ハンムラビ法典】
目には目を、であまりにも有名な282条の法典。2.5メートルの石版に刻まれ、バビロンの中心に置かれていた。ルーブル美術館に展示。
王が石に刻ませたのは、その内容を不変で遵守すべきものにする、という意図があってのこと。今でも永遠に変わらないものを表現するときに「set in stone」という。
「有罪が確定するまでは無罪」という推定無罪の原則を定めたものでもあり、こういったいくつかの原則は今日の司法の基礎にすらなっている。しかし、中にはこんな条項も。
「手術中、または手術後に患者が死亡した際は、医師の手を切り落とすこと」
…これは堪らないな。
【くさび形文字の粘土板】
最初の文字は商取引の記録のために使われたという。その確かな記録となっているのがこの粘土板。ヤギと羊の取引の記録が書かれていた。
粘土を選んだのにも理由がある。焼けば固まる、つまり改竄できないからだ。
こういった粘土板は、英国のアマチュア考古学者の「オースティン・レヤード」が、古代都市ニエヴェの遺跡を発掘した際に大量に発見されている。その数2万枚。その遺跡は王の図書館であったそうだ。それらの粘土板のおかげで、最初の文明についてのそれまでの理解を大きく塗り替えることになったそうだ。
くさび形文字はどう解読されたのか?この大量の粘土板が発掘される10年前に、これまた英国の陸軍士官「ヘンリー・ローリンソン」が、ペルシアの崖、地面から100メートルのところに刻まれた文字を発見していた。この『ベヒストゥン碑文』と呼ばれる彫刻は、実はロゼッタストーンと同様で3つの言語で書かれていたのだ。この発見によりくさび形文字は解読され、現在は見つかった粘土板の殆どが解読されている。
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【ギルガメッシュ叙事詩】
前述の『ニエヴェの遺跡から発見された粘土板』の文章の中で最も有名な内容。
「ギルガメッシュ」とは、シュメール初期王朝の伝説的な王。実在されたとされるが、この叙事詩や神話のように物語として語られてもいる。その物語によると、もともと暴君であったギルガメッシュは、彼を成敗しようと企む神によって刺客を送られた。その刺客が野人「エンキドゥ」である。後に彼らは親友となり数々の冒険を繰り広げたのだという。どんな冒険?FF5をやったことがある人ならお分かりであろう(笑)
【ウルの黄金のカップ】
1930年代に英国の考古学者「レナード・ウーリー」によって発見。シュメールの首都ウルで見つけた墓地の中から、多くの副葬品とともに発掘された。女王プアビのものとされ、この発見でウルの人達が優れた手工業の技術、とりわけ金属加工の技術を持っていたことが明らかにされた。
【アッカド王サルゴンの頭像】
サルゴンとは、ユーフラテス川岸の首都アッカドを拠点とし、当時の世界最大の帝国を築いた王。神殿娼婦の子として生まれたため、殺される運命にあったところ、不憫に思った母により、イグサの籠に入れられてユーフラテス川に流されたという可哀そうな児。まあ結果王様になるのだけれど。そんな人の頭である。
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【蛇女神像】
3500年前の地母神像。アーサー・エヴァンスによってクノッソス宮殿より発見。
よく見ると両手に蛇を握っている。これは蛇が「新たな命の象徴」であり「神の使い」でもあったため。
発見者アーサーは、変わり者の考古学者であり、彼はクノッソス宮殿の発掘のために、25万ポンドもの『私財』を投じたそうだ。
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【ミノスの牛】
この遺物は儀式用の道具と見なされている。ミノスの牛とはミノタウロスのこと。上半身が牛、下半身は人間で、なんと主食は処女である。これには超人強度1000万パワーの『バッファローマン』もびっくりである。
クレタ島のミノス王の妃「パシパエ」は、ポセイドンの呪いで白い雄牛に恋をしてしまう。そうして生まれたのが「ミノタウロス」。問題児なのでラビリンスに幽閉された。
これは神話であるが、実際にクノッソス宮殿の地下からは、複雑な迷宮が見つかっており、何の為に作られたかは定かでない。
【牛跳びのフレスコ画】
クレタ島で人気だったスポーツ。それが「牛跳び」だ。
ルールは簡単。突っ込んでくる雄牛の角を掴んで、とんぼ返りで背に飛び乗る。そしてもう一回とんぼ返りをして牛の後方に着地するのだ。女性もやったそうだ。
…狂気の沙汰である。
相手は乳牛ではない。荒れ狂う雄牛なのだ。避け損なうと「ハリケーンミキサー」の様に空中きりもみ回転し、地面に叩きつけられるだろう。
そんな愉快なスポーツを吞気に絵にしたのがコレ。クノッソス宮殿にて発見された。
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【アンティキテラの歯車】
アンティキテラ沖の沈没船から見つかった古代の装置。それは無数の歯車が組み込んであった。
発見されたのは1901年だが、複雑な仕組みで当時は解析できなかったそう。長い間用途不明の機械とされていたが、2006年に天体の計算機だと判明した。紀元前にどんな天才がこの機械を作ったのか、それはまだ明らかでない。
今回は3つの文明の遺物について、簡単にまとめてみました。『テーベ』でこれらの遺物を引いたときは、是非ウンチクとして語ってください。ゲームで「発掘」した後は、しばらく手番は回ってこないでしょうから(笑)
『ファイストスの円盤』